近自然工法の先生

2013年12月10日、近自然工法の先生、福留脩文さんが亡くなりました。
もう4年が経ちました。
毎日、近自然工法のことを考えていると、そんなに時間が経ったようには感じませんが、
ずいぶんと時間が過ぎたのですね。
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登山道整備と農業を仕事にしているので、毎日毎日が試行錯誤です。
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自然を観て考えて、実践して考えて、失敗して考えて、もう一度やってみて。
未だに、「近自然工法とは何ぞや」と自問自答ししていますが、
理屈は言えないけれど、感覚としてははっきりとしてきました。
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自分は海川問わず釣りが好きです。
15年ほど前、最初に福留先生の講習会で川での施工箇所写真を見た時、
自分の好きな釣り場にもよく似た場所がたくさんある、と感じました。
それから毎年、北海道でお会いし、新たな施工を見せていただいた中で、
海での施工を見た時、とても感動したのを覚えています。
「自分が行く釣り場にそっくりな場所がある!川だけでなく、海もそうなんだ!」
そのあたりからようやく近自然工法の意味が少し理解できたようでした。
そして、先生の言葉の中で「自然の中に答えがある」「自然から学べ」という言葉を聞き、
それが釣り場の自然と重なったとき、人間に必要なものを作るのではなく、
自然の中にある構造物を再現させることが必要なんだ、
自然にとって必要なものでなければならないんだ、と理解出来ました。
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今、いろいろな地域で登山道整備をやらせていただけるようになりました。
「一年中、自然を観て考えて実践が出来る」ということは実はとてもありがたい環境です。
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近自然工法の視点でものを見るようになると、
今までとはずいぶん違ったものがたくさん見えるようになります。
そのほとんどすべてに思うところは同じです。
「なんでこんな当たり前のことに気が付かなかったんだろう」
気が付く事柄とは自然現象です。
本に書いてあることや、誰かの講義で聞くことよりも、目の前に自然の成り立ちがあります。
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自然の中にすべての必要な事柄があり、知りたい事柄もその中にあります。
犬の散歩の途中で田んぼのあぜ道の植物の変化に気がついた時、
ビニールハウスを見回りながら土にいる虫の分布の変化に気がついた時、
久しぶりに登った山の木の成長に驚いた時、
崩れた道の脇に植物が育っているのを見た時、突然、何かが理解できます。
「ああ、そうだったのか!」
理屈では言えないけれど、自然ってそう成っているんだな、と気が付き
そう成るように合わせればいいんだ、と気が付きます。
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そしてそれはそのまま登山道整備や農業に役立ちます。
生態系が復元していく登山道整備も、
手間も資材もほとんどかけていないのにとても美味しいトマトが出来るのも
自分には理屈はよくわかりません。
だけど、そう成っているからそれに合わせている。だけなんです。
人間の考え方ありき、ではなく、自然の成り立ちありき、です。
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大規模な登山道整備は公共工事として行われることが多く、
はっきりした理論や理屈がないと積算や強度計算が出来ません。、
そうなると近自然工法は使われにくいのが現状です。
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とある場所では福留先生が行なった河川工事でも、行政の担当者が変わると
「どこを直したのかわからない」
「どれだけの水量に耐えられるのか強度計算ができない」
等という理由で展開が出来にくいとか。
今までの水害に耐えて、自然と見間違うほど馴染んでいるのに、使いにくいそうです。
自然に対する感性を変えていかない限り、良いものが使われない、という状態が続くのでしょうか。
このあたりは担当者次第とも思いますがね。河川の場合は計算もできるはずだし・・。
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講習会などでは作業前には批判的だった行政の方も、登山道で実際に一緒に作業すると、
不思議と肯定してくれるようになります。
どう見ても壊れにくい構造、使いやすい配置、自然に馴染んだ形。
それでも「良いのはわかる、でもこれは積算できないから・・・」難しいのだそうです。
凄くもったいないですね。
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自分はもうそんな人は置いておいて、どんどん崩れを治したいです。
近自然工法がうまくいくと自然が復元する、それを実践して見守っていくのが楽しい。
なぜかわからないけど、美味しいトマトが出来て、皆が喜んでいることが嬉しい。
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自然に合わせて生きていく、ということは本来人間のあるべき道のような気がします。
「近自然工法」は技術だけではなく、考え方や概念だと思っていましたが、
気がつけば自分の中では哲学になっていました。
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もしかすると福留先生の教えに近づいたのではなく、ずいぶんと離れてしまったのかもしれません。
それでも、しっかりした道を進んでいるのが、今はわかります。
そのずっと先に、福留先生の背中があるような気がしてならない。
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自然の中に答えがあるということは、目の前には答えがたくさんあるはず。
どうして良いかわからなくなったら自然を観ようと思います。